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学長トピックス 2008年12月号

国会議員事務所・各政党県本部を訪問し、国立大学法人運営費交付金の充実のための要請を行いました

12月4日(木)、法人運営企画課長及び、午前中は教育科学系学長補佐、午後は学生担当理事とともに、表記の要請行動を行いました。これは、国立大学協会の要請に基づくもので、午前中は、本学のある刈谷市が愛知県でも西三河地区に属することから、西三河地区選出の国会議員への要請行動でした。各事務所とも、議員本人は国会が開会中であるため不在でしたが、秘書の方に下記の要望書をお渡しし、説明の機会をいただきました。午後は、自民党、民主党、公明党、社民党、共産党の各政党の県本部に出向き、同様の趣旨のお願いをいたしました。いずれにおいても、こちらの要望をお聞きいただきました。

平成20年12月4日
国立大学法人愛知教育大学
学長 松田 正久

平成21年度国立大学関係予算の確保・充実について(要望)

日頃から国立大学法人について深いご理解とご支援をいただき,厚く御礼を申し上げます。

さて,国立大学では,これまで我が国における知の拠点として高度人材育成の中核機能を果たすとともに,高度な学術研究や科学技術の振興を担い,国力の源泉としての役割を担い、併せて、能力ある人材が教育を受ける機会を保障する国立大学としての「公共的性格」を担ってきました。

しかしながら,国立大学法人の財政的基盤である運営費交付金は,効率化係数により、毎年△1%の適用を受け,骨太方針2006に基づく総人件費改革の中で,削減され続けており,当法人でも懸命の経営努力により対応しているものの,その努力も限界に近づきつつあります。

つきましては,国立大学の果たしている役割についてご理解いただき,運営費交付金の拡充,教育・研究環境整備のための施設・設備予算の確保,科学研究費補助金の拡充,「留学生30万人計画」実現のための予算の確保,民間寄付を促すための抜本的な税制改革など,平成21年度予算編成に向けて,国立大学関係予算の確保・充実について,ご理解と引き続きのご尽力・ご支援を賜りますようお願い申し上げます。

(以下には、「本学の特徴、法人化後の現状と課題、今後に向けてのお願い」を記した要望書を添付し、各議員、政党へお願いしました。)

本学生協「読書マラソン表彰式」に出席しました

12月8日(月)、夕方から生協主催の「読書マラソン」表彰式があり、出席し挨拶しました。学生時代に読書することの大切さを訴え、こうした企画をどんどん進め、一人でも多くの学生が本に触れる機会を増やしてほしいとの願いを込めて話しました。120人くらいの学生が参加しおり、これだけの学生に話をするのは入学式での式辞以来ですので、大学としても学生の授業料等の自己収入の5%(約1億円)を使い、学生の方々のための教育環境整備に力を入れていること、さらに1%(約2千万円)を図書館の図書購入費など図書館の充実のために使用することを、今年度から始めていること(昨年度は0.7%)などを紹介しました。

表彰式の模様

表彰式では、朝日新聞と連携した全国版読書マラソンコメント大賞の銅賞に、愛教大3年の伊藤結衣さんの作品『魔王』が選ばれたことの紹介があり、本学生協での読書マラソンには、149通の応募があり、学長賞には、森嶋悠人さん、理事長賞には同じく伊藤結衣さんが選ばれました。おめでとうございました。 

 

吉良町立横須賀小学校6年生に講演しました

12月12日(金)、14時から15時40分まで、100分間、吉良町立横須賀小学校の6年生に「やさしいそりゅうしのものがたり」と題して講演しました。横須賀小学校は、在校生400人余の吉良町では一番大きな小学校です。横須賀町の安井教育長は、教育長をやりながら本学大学院修士課程学校教育専攻を、この春修了された、勉学に燃える教育長です。その安井教育長と、また校長先生と教頭先生が理科の先生、特に島崎教頭先生は、物理を学ばれた教え子ということもあって、お話をさせていただきました。十分な準備もできず、お話しすることになって申し訳なく思っていますが、「科学する」ことの楽しさの一端だけでも小学生の皆さんに伝わったらよかったかなと思います。当日は、保護者の皆さんも10数名が参加され、聴講いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

私は、高校生の非常勤講師の経験は大学院時代に経験があります(4年間やっていました)が、中学生は教育実習で「技術」を教えた経験のみで、小学生にはどんな言葉を使っていいのか、最初は戸惑いましたが、聞いてくれていた児童たちの元気さに打たれ、最後までお話しすることができました。何よりも、目を輝かせながら聞いてくれたのが印象的でした。最初は、45分の予定で始まった講演でしたが、ついつい延びて、90分にもなりました。校長先生や教頭先生、担任の先生にご迷惑をかけることになってしまいましたが、快く延長を認めていただきました。

幡豆郡吉良町は、本学から国道23号を走り、車で1時間のところにある三河湾岸沿いの風光明美な街で、吉良公や尾崎士郎の出身地として知られています。今度一度ゆっくりと訪ねてみたくなる、そんな素敵な街です。(写真は講演中の筆者と横須賀小学校の6年生)

講演中の学長 横須賀小学校6年生の皆さん

第5回全国大学コンソーシアム研究交流フォーラム(名古屋大学)に参加しました

12月13日(土)と14日(日)の両日表記の催しがありました。今年のテーマは「地域における学術・文化の創造と情報の発信をめざして―産学官民の連携による大学コンソーシアムの形成―」がテーマで、主催は全国大学コンソーシアム協議会でした。

13日の基調講演は川口文夫中部経済連合会会長の「持続発展する豊かな地域づくりを目指した産学官連携」と題したものでした。それに続くシンポジウムは、川口氏以外に、清水潔文部科学省生涯学習政策局長、白井文吾中日新聞代表取締役会長(白井氏には、本学経営協議会委員をお引き受けいただいています)、若原道昭大学コンソーシアム京都副理事長のお話が各20分程度あり、それを受けた質疑が若干ありました、そのあとに分科会があり、これにも参加しました。

愛知県には、愛知学長懇話会がありますが、こうした全国のコンソーシアムが一堂に会し、様々なテーマで交流し合うという企画で、今年度は5回目です。本学からも、二日間で延べ10人弱が参加しました。第1日目の分科会は、「大学連携による単位互換事業」(阿部学長補佐参加)、「FD・SD事業(大学力を高める施策について)(澤学長補佐参加)、「教育免許状更新講習の円滑な実施に向けて―現状と課題」(松田参加)でした。それぞれの内容について紹介することは省略しますが、この日は、午後6時から8時まで、参加者による情報交換会があり、これにも参加してきました。

第7回坂田・早川記念レクチャー「幻のノーベル賞 チャーム粒子の発見」に参加しました

12月21日(日)の午後2時から5時まで、名古屋市科学館において、名古屋大学大学院理学研究科・名古屋科学館共催で、第7回坂田・早川記念レクチャー「幻のノーベル賞 チャーム粒子の発見」と題して、丹生潔名大名誉教授の講演が名古屋市科学館サイエンスホールでありました。高校生からお年寄りまで参加者でホールがいっぱいでした。この記念レクチャーは、素粒子・宇宙の分野で顕著な業績のあった方々にメダルを贈り顕彰し、若い方々の科学への夢を与えるものとして企画されているようです。

丹生さん(素粒子論研究者の間では、どんな偉い人であろうと、「さん」づけで呼ぶのが習慣ですので、私も「さん」で呼ぶことにします)は、宇宙線の研究者で、私の師でありました故小川修三氏(広島大学名誉教授・名古屋大学名誉教授)と同年代の研究者です。丹生さんは、1971年当時、東大の原子核研究所で宇宙線の実験をやられていたわけですが、当時写真乾板を、JALの国際貨物便に積み、宇宙線の引き起こす素粒子反応を調べている中で、陽子の2-3倍の質量をもつ重い素粒子がつい発生し、長寿命(10 13~14sec)で崩壊していると解釈できる事象を1例発見しました。これは、1971年3月の物理学会で発表されましたが、その後、この事象を丹生さんから聞いた、小川さん(当時広島大学)は、早速その理論的解釈に着手されました。小川さんは、今回ノーベル賞を受賞された益川さん・小林さんと同じ、坂田昌一門下の第一弟子ともいえる存在でした。私は当時、大学院の修士課程の2年生でしたが、弱い相互作用の研究をやりたいと思っていた関係から、僕以外の大学院生2人と助手の林さん(現、皇學館大学教授)の4人に、丹生事象の特徴を詳しく説明してくれました。そして、みんなで議論したわけですが、小川さんは、これは、新名古屋模型で示唆されている、第4の基本粒子P`(ピープライム、今でいうチャームクォーク)を含むハドロンと同定できるとの見解を示されました。他の可能性、たとえばストレンジ量子数を含む粒子の可能性はないことなどを示しながら、第4の基本粒子を含むバリオンとメソンの質量の評価、あるいは弱い相互作用による崩壊モードと崩壊寿命の計算などを行いました。これが、私が、素粒子の研究をやる出発点にもなった出来事でした。

このあたりのことを日経サイエンス1月号のノーベル賞記念連載は、「丹生による新粒子発見の発表と同じ1971年、小川らは、その粒子こそ、坂田らが新名古屋モデルで存在を予言した第4の粒子、つまりBマターに混合ニュートリノν2がくっついてできた複合粒子P’に相当する可能性が高いと発表した。クォークモデルに即して言えばu,d,sに続く第4のクォーク、後のc(チャーム)だ」と記しています。私は、この文の「小川ら」の「ら」の一人だったわけです。こうして、抵抗なく四元模型を導入したのには、坂田先生の「形の論理を物の論理に」という概念規定もあったでしょうし、またそうした伝統を重んじる雰囲気もあったと思います。わずか1事象でしたが、これは間違いなく、新しい自由度を含む粒子の事象だと確信しましたが、当時の学界は、積極的にこれを評価する空気になかったことも残念でした。丹生さんの発見は「幻のノーベル賞」に終わったというのが実感です。ゲルマンが、クォーク模型でノーベル賞を1969年に受賞していますが、これに基本粒子による複合模型の先駆者である坂田先生が受賞されていないことが、重なって見えてしまいます。

この日の、インタビューによる丹生さんの話の中でも、あくまでも謙虚さを貫かれる丹生さんの姿勢には、本当に感服しました。(関連サイト:第7回「坂田・早川記念レクチャー」ホームページ