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学長トピックス 2009年9月号

第1回日越学長会議(ハノイ・ホライズンホテルで開催)に参加しました

第1回日越学長会議(ハノイ・ホライズンホテルで開催)参加の様子その1

2009年9月17,18日の両日、ベトナムの首都ハノイで第一回日本-ベトナム学長会議が開催され、出席してきました。ハノイを訪れたのは6年ぶり2回目です。16日早朝に、阿部和俊人文社会科学系学長補佐と 2人でセントレアを出発し、夕方ハノイに着きました。時差は、2時間遅れです。三重大学の内田淳正学長など20数人の日本の代表の方々が同じ飛行機でした。 6年前はビザが必要だったのですが、今回、ビザは不要でした。ハノイ市内から約35kmの距離にあるノイ・バイ空港には、主催者のベトナム教育訓練省(MOET)が手配してくれたバスが待っていました。ちょうど夕方のラッシュに雨が重なり、道路にあふれる車とバイクを見て、よくこれで事故が起きないですねと、皆さん同じような感想でした。そのバスで、ベトナム日本人材協力センター(VJCC)及び日本国際協力センター(JICE)などによるベトナムの留学生支援などこれらの組織の活動概要の紹介のため、貿易大学構内にあるVJCCに直接行きました。予定では、最初ホテルに行き、それから上記のプレゼンと坂場三男在ベトナム特命全権大使主催のレセプションに行くことになっていたので、私は、半袖のポロシャツにズボンという服装で、大変失礼なことをしたなと思いました

VJCCで行われたベトナム紹介では、文科省から在ベトナム大使館に出向している庄司祐介理事官の歯に衣着せない今回の会議の経緯説明があり、次にJICEの松岡和久理事長が JICEのベトナムでの活動を紹介し、最後にVJCCの小樋山覚所長から、現地での日本語教育を中心にPPTを使いながらのわかりやすい説明がありました。また、ベトナム元日本留学生 協会会長で現ハノイ工科大学学長のNGUYEN NGOC BINH氏の挨拶もありました。 今回の会議の主催はMOETですが、世話は、2日の会議を含め、ハノイ貿易大学(ベトナムで一番難易度の高い大学とのこと)の日本語専攻学生がしてくれました。

第1回日越学長会議(ハノイ・ホライズンホテルで開催)参加の様子その2

レセプションでは、加藤重治文科省高等教育担当審議官、坂場在ベトナム全権大使、大学を代表して立命館大学の川口清史学長などの挨拶があり、その後ビュッフェ形式の食事が 出されました。北教大の本間謙二学長(教育大は愛教大と北教大の2大学でした)と一緒で、松岡理事長が北教大の経営協議会の委員をしていることもあり、いろいろと意見交換が できました。

さて、17日(木)からの日越学長会議の話をしましょう。参加大学は、国立が30(東海地区では、愛教大、名大、名工大、豊技大、静大、岐大、三重大の7大学が参加)、 公立1、私立16大学でした。17日は、午前8時半から始まり、主催者を代表してベトナム副首相兼教育訓練省大臣のNguyen Thien Nhan博士が今回の会議の目的や意図などを含め 挨拶、日本からは加藤審議官、坂場大使の挨拶がありました 。

第1回日越学長会議(ハノイ・ホライズンホテルで開催)参加の様子その3

その後、午前中のプログラムとして、ベトナム側から、「高等教育における日越協力」、「ダナン国際大学の計画」、日本側から「大阪大学の研究者及び学生交流」「ベトナムでの日本学術振興会(JSPS)の活動」などが報告されました。午後から18日午前中にかけては、プレナリーセッションで、テーマは、「①研究面における相互交流と協力」「②協働と職員・学生交流」「③高等教育の質保障と評価」「④グローバル的観点からの大学運営」などの諸テーマで相互の発表と討論が活発に行われました。 ③では、愛教大の提携大学であるハノイ教育大学のNguyen Viet Thinh学長による2008年度に同大学が受審した評価の話、④では、濱口名大学長の講演もありました。セレモニーとして九つの協定サイン式があり、愛教大とハノイ教育大は、5年間の協定期間が過ぎたため、そのうちの一つとして参加しました。会議全体の詳細は、まもなく正式に 公表されると思いますのでそれを参照してください。

18日午後は、ハノイ教育大学を訪問し、残りの協定書にサインし、また、2年前の2007年の10月に日本学生支援機構のプログラムで本学に来た12人の学生と3人の教職員のうち、学生5人、教職員3人の方々と再会しました。5人の学生は、附属高校を含む高校の先生2人(化学・物理)、ハノイ教育大の助手3人(化学・物理・生物)で、みんな立派になっていました。彼らやNguyen Thi Tinh副学長の案内で、附属英才教育高校(英語、数学、物理、化学、生物、IT、国語など6部門のクラスがあり総生徒数800人で全国から生徒が来ているとのこと)と教育実習のための附属高校(生徒数2,000人、教員数120人)の授業や施設を参観しました。生徒はすべてフレンドリーで、英語で挨拶したり、みんな拍手で迎えてくれました。4時ごろになると大学構内にある高校の前に生徒を迎える保護者のバイクが鈴なりでした。この時間は、仕事が終わる時間ではないのにと思い、尋ねると結構時間が自由になるらしく、自営業の人だからというわけでもなさそうで、これがベトナムだ、という答えに妙に納得しました。

19日は、ハノイ教育大国際交流セクション(室長を加え6人の職員で担当)の職員Tuyenさんの付き添いで、ハノイから90km北のViet Tri市からさらに7km北のCo Tich村にある ベトナム最初の王を祭ってある寺Hung Kings Temple、Tuyenさんの生家、彼が通った小・中学校の見学などを行いました。田舎は、まさに今お米の収穫の時期で、道路には、 もみを取った稲藁が置いてあるし、分離帯はまだ脱穀していない稲が干してあるしで、日本で見られない田園風景でした。Tuyenさんの実家は、3世代用の自宅を新築中で3階建て の立派なものでした。訪ねた中学校では、休日でしたが校長先生が迎えてくれました。附属高校もこの学校も職員室はミーティングルームで、机と椅子がある会議室で、 教科書などは何もなく、先生はすべて自宅でやっているという話でした。

夕方には、3年前に本学の伊東正人准教授のもとで一年間修士課程の学生として滞在した素粒子論専攻のDo Thi Huongさん家族と彼女の指導教員のHoang Ngoc Long博士と 夕食をともにしました。Huongさんは、ベトナムに帰国後博士号を取得し、この10月から研究員として高エネルギー物理学研究所に1年間滞在する予定です。ベトナムでは、 素粒子の理論で博士号を持っている研究者は全国で10数人とのことでした。もう一人の知人のハノイ教育大のDan Vang Soa教授は、身内に不幸があり、今回はお会いできなかった のが残念でした。

20日朝、Thuハノイ教大国際交流センター長に送られて香港経由で、帰国しました。

ベトナムは、人口約8,500万人、南北に長く、首都ハノイと南のホーチミン市までが1700kmもある国です。今回のシンポでは、カントー大学の学長も話されましたが、この大学は、 ホーチミンよりも南西のメコンデルタで最大の大学です。メコンデルタなど、私はテレビを通じた知識しか持ち合わせていませんが、ベトナムをお隣の三重県に例えるなら、 このカントー市は、熊野市あたりでしょうか?ホーチミンは伊勢市、ハノイは津市とすればいいのでしょうか?大学に関して言えば、このカントー大学は学生数3.7万人、 ハノイ教育大学は、正規学生が1.2万人でパートタイム学生を加えれば4.5万人という話でしたので、どの大学も膨大な数の学生が在籍しています。またほとんどすべての大学に 博士課程が設置されている点も日本の大学とはだいぶ違います。

ベトナムは、6年前に比べると、車の数が増え、大通りの自転車に乗っている人の数が極端に少なくなっている一方で、バイクが多いのは変わらないという感じでした。 街を走っている車で多いのは日本製と韓国製のように感じました。また信号が少なく、朝や夕方のラッシュアワーの時などは、ものすごい数の車やバイクそれに自転車が交差点や ロータリーに集まるのですが、阿吽の呼吸というかそれなりの秩序をもって流れているのには本当に吃驚です。滞在中には、事故は1件もみなかったのですが、帰国当日、 空港への有料道路で車の追突事故と車とバイクの接触事故の2件を見て、妙に納得するところがありました。

到着した日とその翌日は雨でしたが、日本で最近多いスコールのような雨と違い、そぼろ雨という感じでした。2日間は全く外に出る機会もなかったので、雨にあたることはありませんでした。18,19日はうだるような暑さ(38度くらい)に加えて湿気があり、いっぺんに真夏に戻ったような感じでした。ベトナム北部の雨季は例年4月から10月とされていますが、18,19日は炎天下でじっとしていても汗が出てくるくらいで、そうした中で農家の方々は収穫作業に追われ、働いているのが印象的でした。

行き帰りの飛行機の中で、石川文洋著「ベトナム 戦争と平和」(岩波新書、2005年)を読みました。現地では疲れていてなかなか進みませんでしたが、写真がたくさん載っている本で,しかも自分の足で歩いた本ですから、読み応えがありました。ベトナム戦争は、1964年8月のトンキン湾事件に始まり、1975年4月に終結するアメリカが敗北した戦争でした。石川氏は、1965年にサイゴン(現ホーチミン市)へ行き、以来40年にわたってベトナムを取材してきました。本書の最後のほうで、この40年間、特に戦争中に出会った人々に20数年から30年を経て再会するシーンでは、今も戦争の後遺症に苦しむ人々の姿を描いているのが印象的です。戦争は負けた側だけでなく勝った側にとっても物的にも精神的にも甚大な被害を与え、苦しむのは一般の庶民ということがよくわかります。同書によると、ベトナム戦争では、死者は民間人200万人、解放軍兵士110万人をはじめ約350万人に上るそうです。戦争終結後35年というと、日本では太平洋戦争終結後の1980年ごろに相当します。ベトナムでも表面では戦争の痕跡はまったく見ることはできませんが、通訳のTuyenさんのお父さんの兄弟二人は、戦争で亡くなったそうです。当時の北ベトナムの方針として、兄弟が複数人いれば、 1人は必ず残すという方針だったため、お父さんは残り、僕が生まれたんだということを言っていました。ベトナムでは女性が働くのは当たり前で、お母さんともう一人のお姉さんも医者として病院で働いていると言っていました。

19日に訪れたお寺は、標高175mの小高い山に4つの寺などがあり、最初の一番下のお寺を訪ねただけでしたが、ここはベトナム人にとって特別な場所で、文化的歴史的にも 貴重な遺跡で、このあたりの人々は家族で訪れるそうです。この日も、外国人を含めたくさんの人がお参りしていて、入口には日本と同じく門前町のお土産屋さんがあり、 彩の賑やかな品々を売っていました。

行き帰りの二日を入れて僅か5日間のベトナム訪問でしたが、顔立ちなどは日本人とベトナム人とはそっくりであること、仏教信仰が根付いていること、何よりも市民の方々が精気に満ち溢れていること、市内ではアオザイ姿の女性にはほとんどお目にかかれないこと、ホームレスは一人も見なかったこと、経済の発展が目覚ましいこと、そして活気にあふれる街並み、一歩裏通りに入れば現代化が及ばない人々の生活が垣間見れること、などを感じさせてくれました。

最後に、石川氏の言葉を引用しましょう。「人間の生命がいかに大切であるかを身にしみて感じた。その大切な生命を一度に多く奪ってしまう戦争が起こらないようにみんなで努力したいと思う」(183ページ)。これが、私の妻が残してくれた言葉につながっていることを改めて感じました。

在ベトナム日本国大使館ホームページに載っています。