
学長トピックス2010年3月号
◆国立大学協会第18回総会が3月3日東京で開催されました
定例の国立大学協会(国大協)総会が、3月3日(水),東京で開催されました。総会では、まず各支部(私の所属する支部は東海北陸です)から推薦した理事(全部で8地区16人、東海北陸支部では濱口名大学長と中村金沢大学長です)の中から会長を選出しました。16人の全員の中から1人を選ぶのですが、その前に全会員による意向投票を行いました。投票結果では、東京大学の浜田学長でしたが、理事会では意向投票どおりに浜田東大学長に決まりました。副会長には3人の学長が決まり、会長補佐なども選出されました。
総会では、4月からの各種委員会の委員も決めるのですが、私は経営支援委員会のメンバーとなりました。委員長は、理事でもある松本京都大学長です。ほかには、教育・研究委員会、広報委員会、評価委員会(これまでの2年間はこの委員会の委員でした)、事業計画委員会などがあります。教育大学は、いずれもその運営費の確保に苦慮している大学がほとんどですが、経営支援委員会でこうした特性を持つ大学の運営、経営支援のあり方について議論を進められるよう努力したいと思っています。
17時過ぎから約1時間は、鈴木文科省副大臣が出席し、新成長戦略などの話を中心に話題提供され、質疑を行いました。その中で、高等教育に対する公財政支出を増額すること、運営費交付金は2005年度水準に戻すこと、国立大学法人の人件費の毎年1%の削減は取りやめることなど力強い話があったのが印象的でした。
◆中国の東北師範大学(吉林省長春市)を訪問しました
総会の翌日4日は、中国長春市にある東北師範大学訪問のため、朝早く家を出ました。今回の訪問は、本学と東北師範大学が学術交流協定を結ぶことになり、4月初旬に先方の史学長のほか4人の方が本学を訪問されることになりました。その際の締結予定の文書の打合せ及び東北師範大学の現状視察のために、私を含め国際交流センターの北野浩章教員(日本語教育講座)、宮内春菜専門職員、中国からの本学への留学生で修士課程1年の王娟(ワン・ジュアン)さんの計4人で訪問することにしました。朝7時過ぎに4人全員が中部空港に集まりました。旅行日程は下記の通りです。
○3月4日:3月4日:中部空港から9:20出発、北京経由で長春空港着16:00
○3月5日:東北師範大学での協議及び学内見学など
○3月6日:大学及び長春市内見学など
○3月7日:長春空港から12:10出発、北京経由で21:10中部空港着
私自身は、中国への旅行は、まだ中部空港が開通する前、現在の県営名古屋空港から天津空港経由で、妻と2人で北京に観光旅行に行って以来です。したがって、経由地とはいえ、北京空港は初めてです。飛行機は、どんよりと曇った北京空港に12時過ぎに到着しました。荷物を受け取り、入国手続きの後国内線に乗り換えるといわれていましたが、空港の巨大さにまずびっくりしました。荷物を受け取るのは国内線ターミナルにある受取場ですが、そこに行くまでは、電車に乗るのです。乗車時間は5分ほどでしょうか、3-4分間隔で発着しているようでした。
長春への乗り換え時間が1時間ほどでしたので、結構あわてて荷物を受け取り、入国手続きをして、次は国内線への搭乗手続きですが、空港会社のカウンターで預けていては間に合いそうに無かったので、王さんが、係りの人と交渉して、そのままベルトコンベアに載せてくれました。名古屋でのタグの行く先が長春となっていたので問題なく長春の空港で荷物を受け取ることができました。急いで、国内線の搭乗口に行ったら、13時30分発が30分延びて14時になっていたので、一同、「ナァーンダ?!」の気分になりました。でも14時に無事離陸し、薄暮の長春空港に16時ごろ到着しました。空港ターミナルは、中部空港と同程度でしょうか。空港そのものは、国土の広さもあり、中部空港の数倍の規模はあるように見えました。長春空港には、東北師範大学の国際交流センターの劉丹さん(男性)が、迎えに来てくれていました。 吉林省の首都人口740万人の長春は、うっすらとした白色の中にありました。空港は市内中心から車で40-50分の所にあり、市内からの高速料金は往復20元(1元は約14円)とのこと。高速の入り口には、ETCも設置してあり、定期バスやタクシーが利用していましたが、一般車は、ほとんど付けていないようでした。車は、一見したところ、6-7割がドイツ車のように見えます。残りを日本車や韓国車が占めているという感じでしょうか。ちなみに、「市内には長春第一自動車製造工場と長春映画製作所が所在し、中国における自動車工業と映画製作の拠点となっている」(WikiPedia)とのこと。17時に宿泊先である大学の近くにある人民大街にある「長春名門飯店」に着きました。そこで、服を着替えすぐ夕食会の場所に行きました。夕食会は、これは大学がある自由大路の東北師範大学が運営する「東師会館」(「東師」というのは、「東北師範」の略です。中国でもこうした略語を使うのですね。ここはホテルも兼ねた8階建てくらいの立派なビル)で、先方は張国際交流担当副学長、李大学院国際教育院長、安国際合作交流副所長が既にお待ちでした。夕食には何が出たか忘れましたが、とにかくおいしい料理でした。21時にはホテルに帰り、この日の行動は終わりました。
2日目は、前の夜に降った数㌢の雪で、歩道は真っ白で車道は黒ずんでいますが多くの作業員が出て人海戦術による除雪が始まっています。大学までは、歩いて10分の距離ですが、車が渋滞してそれ以上に時間がかかったように感じました。大学の本部棟の6階だったでしょうか、先方は昨晩の3人の方に加え、張教育科学院副院長と周生命科学院副院長が出席されました。お互い自己紹介した後、張副学長による東北師範大学の概要説明、続いてこちらからの説明、そのあとお互いの質問や学術交流協定の中身についてのやりとりがあり2時間ば
かりの会見は終わりました。この時われわれの方は、皆緊張していて写真を撮るのも忘れました。最後に集合写真を撮りましたのでそれを載せておきます。大学は、80㌶と70㌶の二つのキャンパスを有し、教員養成とそれ以外で分けて使っているようです。二つのキャンパスは、数㌔㍍離れており、それぞれにほぼ全寮制の宿泊施設があります。学生は1.5万人、大学院生が7千人の計2万2千人、教員は1500人、職員が1000人くら
いでしょうか。国際合作交流所は、職員は15人、日本・韓国・ロシア担当がそれぞれ2人ずつ、後は英語圏対応の職員だそうです。
場所を移して、市内のレストランでの昼食会です。その時、少しの坂道で、雪のため車がスリップして、降りて後ろから押しましたが駄目でした。こちらの人は冬でもノーマルタイヤだとその時気付きました。この時は、翌日のハプニングなど夢にも思いませんでした。昼食は、「しゃぶしゃぶ風」中華料理で、IHヒーターでなべを温め、そこに肉や野菜を入れて食べるものでした。
昼食後、再び学内に帰り、日本からの留学生3人から、こちらでの生活の様子をうかがいました。3人の方とも高校を卒業したりなどで、直接学部に入学された方々でした。授業料は年間1.6万元(中国人は4千元)とのこと。留学生専用の10階建てくらいの李ppな宿泊施設があり、一つ一つ独立した部屋が4人用または2人用で配置されており、前者はシャワーとトイレは共用、後者はそれにキッチンがつき、すべて共用のリビングがあり、部屋には布団も誂えてあるので着いたその日から住めるようになっていました。学内には、大きい食堂が2か所にあり、食事は1回5元で食べ放題ということでした。ボランティアでしょうか、学内では学生の集団が道の雪かきをやっていました。劉さんの話によれば、雪の降ったこの日の夜は、明け方の2時までかかって市内大通りの雪かきは、終了したそうです。翌朝6日は雪もすっかり片付けられていたのは、このためでした。信号はすべてLEDに替わっており,インフラの整備が急速に進んでいる様子が見てとれます。
本部キャンパスでの日本人留学生のインタビューが終わり、浄月キャンパスに向かいました。ここのキャンパスは新しく教員養成課程以外の約1万人の学生が学んでいます。道路を隔てて、大学の保有する「自然史博物館」があります。閉館時間を過ぎていたので内部は見学できませんでしたが、通常小学生や中学生が見学に訪れるそうです。これだけの施設を有しているのですから、中国政府の教育への投資の熱意が直接伝わってきます。
6日は、朝9時半に出発し、市内中心部から北東の長春駅から2kmくらいの所にある旧満州国皇帝溥儀の住居でもあり執務の
場所でもあった「偽満皇宮博物院」の見学です。ここで「偽満」というのは、「日本の傀儡政権満州国」という意味に受け取りました。ここの解説は、他のホームページを参考にしていただくことにして、割愛しますが、その隣にある「東北論陥史博物館」は圧巻でした。3年前に開館した、日本の中国侵略のきっかけとなった1931年9月18日(「忘勿 9.18」という江沢民の筆になるモニュメントがありました)の関東軍によるでっち上げであった「柳条湖事件」です。このあたりから、第二次世界大戦が終わるまでの10数年間の現代史がまとめられた博物館となっています。解説は中国語、英語、日本語でなされています。
この博物館見学が終わったのが13時過ぎだったでしょうか。それから大学に戻り学生食堂での昼食です。この後、劉さんの車で「浄月潭」(「潭」とは貯水池のことです)という名所に出かけました。もう一つのキャンパスはこの名から「浄月キャンパス」と呼ばれています。中に、大きな貯水池があり、そこは氷と雪に覆われています。この日の最低気温はマイナス18度ということでしたので、降った雪は溶けずに残りますし、水面は凍っています。劉さんの車は、昨年10月に15万元で購入した新車、道路も公園内はアップダウンが激しく、路面は積もった雪がそのままです。公園内を1-2kmくらい進んだところで、坂道を登れない車がスタックしていました。劉さんの車もそのためストップ。これからが大変でした。
彼の車も、ノーマルタイヤで、冬タイヤでないことがこの時わかりました。来た道にも結構な坂道があったので、帰るに帰れず進むに進めず状態で、救援者を頼んで、危機一髪でしたが、抜けだすのに1時間以上かかったでしょうか?この時も、寒い中、車を押す羽目になりました。2日間にわたり車を押したのは、広い長春で私と北野さんの二人だけだったのではないかとすら思いました。確かに市内には、坂はほとんどありませんし(歩道を通って駐車場に停車する時かな?)、市内の大通りを走る分には雪はすぐ除雪されますのでノーマルタイヤで十分なのかもしれません。それにしても、チェーンも積んでなかったのには、びっくりでした。おかげで、「浄月潭」見学は、夢に終わってしまいました。ただし、一緒に訪問した本学大学院生の王娟)さんは、中国の南の武漢の出身で、雪が珍しくて仕方なく、彼女だけは寒い中、雪の中で大いにはしゃいでいました。結局、この一件があって、市内に戻ったら18時前で、早速、東北師範大学の西の交差点角にある「林業賓館」で最後の夕食会を安先生、劉さんと一緒にとりました。20時ごろから、近くの「麦当労(マクドナルド)」の奥にある「国商百貨」でお土産の買い物をしてホテルに戻り、長春での滞在が終わりました。 翌日は、劉さんが9:30に大学の車で迎えに来てくれ、安先生に送られて、長春郊外の「龍嘉国際机場」から帰国の途に着き、自宅のある大学の宿舎に帰ってきたのが23時を少し回った時刻でした。体は疲れましたが、中国の方々の温かさに触れ,充実した4日間でした。
同行者による中国訪問記は下記よりご覧下さい。

