
学長トピックス2010年10月号
北京、黄色と青色の4日間(9月24-27日)
2010年9月24日、10年ぶりに北京を訪れる機会があった。前回は、当時の名古屋空港(現在の県営小牧空港)から天津空港、そこからバスで高速道路を使い北京入りをした記憶があるが、今回はセントレア(中部国際空港)から北京、時間にして3時間余で到着する。中国は全土で日本より1時間遅れの時差である。
今回は、北京師範大学で開かれる「東アジア教員養成国際シンポジウム」に出席するための渡航である。日本、韓国、中国の3カ国の教師教育に携わる日本の教育大学、韓国の教育大学校、中国の師範大学を中心に集うシンポジウムで、主たるテーマは「情報化社会における教員養成の発展動向と挑戦」、私はこのシンポジウムへの出席は昨年の日本(大阪教育大学)に続き2回目である。25、26日の両日で1日目(25日8時30分~18時)が14、2日目(26日8時30分~12時)が10の計24の発表があった。
開催大学の北京師範大学は北京市の中心にあり、東西1㎞、南北1.5㎞位の長方形の広大なキャンパスが広がる歴史と伝統のある大学である。何でも北京では、北京大学・清華大学・人民大学・北京師範大学を4大大学というそうである。北京師範大学は、キャンパスは広大だということを述べたが、別途大学の拡張のため郊外(珠海)にもう一つのキャンパスを建設中であること、また在学生は2万人で、学部学生が9千人、院生が9千人、2千人が外国人留学生、そのうち教員になるのは高等学校の教員を中心に30%(教員志望者は、政府と契約を交わし、授業料生活費が政府から支給される)とのことであった。
この間の中国の経済発展と相まって、事務局の入るビルは9階建てで、上から入る人を圧倒する威圧感を感じさせる巨大な建物、それに続くのが図書館、その後ろには20数階建ての巨大なビルディングが建設中であった。本部の1階では、キャンパス全体のジオラマと大学の歴史を辿る写真パネルが展示してあり、そこでは、毛沢東、劉少奇、周恩来、鄧小平、江沢民などのキャンパス訪問時の写真、あるいは物理学関係では、李政道と楊振寧のノーベル物理学賞受賞者や天文学者のホーキングなどの大学訪問時の写真とともにキャンパスの変遷を紹介している。キャンパスの西側には、9階建ての学生寮が8棟並び、北側には教職員の宿舎が20棟位建っている。こういう様を見ていると、社会制度の違いを超えて、高等教育への意気込みの違いがまざまざと伝わってくる。
会議は、キャンパス内、大通りに面して建つ16階建ての「京師大廈」というホテルで開催され、宿泊もこのホテルである。ホテル内には、会議室や宴会場もあり、移動することなく行われるので、外に出る時間もない。ホテルは日本でいう民間委託での運営になっているようで、普通のホテルと変わらない。
会議の模様は別に述べることにして、大学や北京の印象を綴ってみたい。街の印象はその人その人の感じ方でずいぶん違うと思うからである。
24日は、13時半ごろ大学の用意した車で、大阪教育大学と香港教育学院の一行と一緒にホテルへ。愛知教育大学は富岡事務局長と2人、2大学はそれぞれ3人の参加。会議には34大学(日本12大学で、うち教育大学が10、総合大学の教育学部から2、韓国からは教育大学校10、総合大学から1の計11、中国からは師範大学10の大学)約80人の参加者である。北京師範大学からの参加者も加えると100人くらいであろうか。
さて、到着日の24日は会議がないので、ホテルのチェックインを終えると、二人で故宮まで歩いてみることにした。出発したのが14時45分、地図で見ると近いように思われた(ホテルでもらった地図には縮尺が記入してないので距離は不明である)が、実際に歩いてみると3時間弱かかってしまった。途中ゆっくりと歩いたので10㎞程度であろう。南に下るわけであるが、大通りを含め自転車はほとんど見られない。10年前とは全く様変わりである。ただし、自転車にリヤカーをつけ、ブドウやリンゴなど果物を載せて売っている人はよく見かける。
走っている車はドイツ車、韓国車、日本車がそれらに埋もれているかのように見かける程度である。タクシーは見た限りでは、現代とVWである。頻繁にバスやトロリーバスが走り、地下鉄の駅も目に付く。しばらく歩くと、西海(そこから后海、前海、北海、中海、南海と人造池が続き、中海が故宮の西側に位置する)という池のほとりに出たのでそれに沿って歩く。湖には、ボートが浮かび、釣竿を垂れている人をたくさん見かける。その釣竿は、太く湾曲した独特の大きい釣竿で日本では見たこともない。
歩き疲れたので、湖畔の喫茶店で、缶コーラと桃ジュースを飲んだが、これが北京で最初に消費したお金、いずれも22元だったので、相当割高のような気がする(何しろ、帰りに3時間かけて歩いた距離をタクシーでホテルまで帰ったが、16元だったのだから)。そこから景山公園の西側を通り、故宮の北側に出る。故宮自体は幅30m位の堀に囲まれているので、その堀のほとりを天安門広場に向かって、ひたすら歩く。結局、天安門広場には出ることができず、故宮の入り口から東のほうに抜け、タクシーでホテルに帰る。これだけ乗って、コーラ1杯よりも安いのであるから、モノの価格のアンバランスに驚いた。
夕食は、疲れていたので、ホテルのレストランのバイキングで済ませたが、これが88元。翌朝、北海道教育大学の学長に会ったら、夕食は4人で腹いっぱい食べて100元といわれたので、我々は相当の夕食をとったことになるが、値段の割に、味はイマイチ。それでも貧乏根性が抜けないせいか、食べ過ぎてしまうのは、我ながら情けない。
25日の会議は、朝8時30分から、18時までびっしり。会議の内容は別に記す。コーヒーブレイクに出たナツメは、形は姫林檎に似て真ん丸で、子供のころ田舎で食べたナツメの味を50年ぶりに思い出した。中国が原産だろうが、子供のころは、庭に植えている家もあったので、それをおやつ代わりに食していたのだろう。でも何人かの日本からの参加者に聞いたが、食べた記憶のない人が多かった。2日目の夕食は歓迎会も兼ねたパーティーで、ホテルのレストランであった。テーブルごとに大学が割り振られており、愛教大は、奈良教大、晋州・春川教育大(韓国)と同じで、全部で9人、何が出たのか覚えていない。ただし、食事の途中であった胡弓や他の民族楽器による演奏は、あの中国独特の旋律の響きが印象的であった。いつもそうだが、哀しいというのか妙に気持ちが安らぐというのか、表現するのは難しい。
26日は午前中でシンポは終了し、午後は北京師範大学よりも更に北、故宮のほぼ真北にある2008年のオリンピックが開催された「鳥の巣」と正陽門(天安門の南1㎞のところ、和平門という2号線の地下鉄の駅付近)の見学である。「鳥の巣」はまさに鳥の巣のような形だが、この日は、空が真っ青、昨日までの薄く濁った混濁の空とはうって変わって、北京の空、秋色の北京を感じさせる青空である。グラウンドをスタンドから見下ろすと、緑の芝生が鮮やかで、スタンドの屋根の間から見上げる青空とのコントラストが絶妙である。一番上のスタンドまで、階段を上がったがこれがまた結構大変、息せき切って上ったという感じ。その後、正陽門の見学と前門にある近代的ショッピング街の見学、スターバックスやユニクロもある。私は、そこを見学せず、門のほうを見学していたのでショッピングの時間はない。
夕食はこの位置から近い、全聚徳和平門店という6階建てのレストラン(このレストランは北京ダックで有名なレストランらしい)。テーブルはまた大学ごとで、我々は、奈良教大、埼玉大、春川教育大、韓国教育大、それに北京師範大からの2人が加わり10人である。ここでは北京ダックが出たが、これは広東料理とのこと。北京ダックというのだから,てっきり北京の料理と思っていたが違うとのこと。
これで会議は終了、27日は帰国するのみ。しかし、飛行機は17時の出発なので、空港に行く14時までの時間を、市内見学することにした。
翌日は、チェックアウトに手間取り9時過ぎに、まず広いキャンパスの見学をすることにした。キャンパスを西に向かい(ホテルは東の南側の通りに面している)、学生寮まで歩き、そこで北に向かい、宿舎群(6階建てくらいのいわゆる公務員宿舎のような建物で、ここはさすがに古かった。市場もあり、床屋さんなどもあり、市街の雰囲気がてんこ盛りである)へ。ここから東側の通りに出て、タクシーで天安門広場まで行く。料金は30元。人民大会堂のほうは通行禁止になっており、その西側の巨大なドームを見ながら、故宮の入り口まで歩く。すごい人の数である。これらの人たちが、毛沢東の写真がある右手の門に吸い込まれていくが、日本人は見かけない。白人のグループは見かけるが、日本人のグループはいない。尖閣諸島の問題がこじれていたこともあり、一抹の不安を抱きながらの北京であったが、中国側の抗議行動などは見かけない。すごい数の観光客に故宮が取り囲まれているようなそんな感じである。
あまり時間がなかったので、2時間ほどの見学であったが、これでは、まぶしい光に輝く黄色い屋根瓦を見て南から北に通り過ぎるだけなので、きちんと見学しようとすれば、2、3日はかかるであろう。前回の訪問が12月だったせいか、故宮に対しては、古ぼけて落ちそうな瓦に古い壊れそうな建物が、どんよりとした空気の中に沈んでいるような印象を持っていたのだが、この日はそれとは反対に光に反射する黄色い屋根瓦が青い空に溶け込むように、どこまでも続く瓦の行列を見せてくれた。
ホテルに帰って、近くの屋台で食べた焼き栗のうまかったこと。大きい栗が10個ばかりで5元、栗を昼食代わりにして帰国の途に就いた。あわただしい北京滞在の4日間であった。北京は暑いくらいの気温であったが、セントレアは雨で、涼しく、翌日からの仕事を思うと少し憂鬱な気持ちになりながら、23時過ぎに家に着いた。

