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学長トピックス2011年9月号

市川房枝さんと愛知教育大学

市川房枝さん

市川房枝さん。この名前は我々の世代は誰でも知っている名前ですが、今の学生諸君や30代以下の方々には馴染みのない名前ではないでしょうか。市川房枝さんは1893(明治26)年5月15日に、愛知県一宮市(旧尾西市)の生まれで、1881(昭和54)年2月11日に87歳の生涯を終えられている。市川さんは、本学の前身でもある、愛知第二師範学校女子部(岡崎)から新設の愛知女子師範学校(名古屋)に移られ、その第一回卒業生でもあります。今年がちょうど没後30周年にあたることから、その業績を記念し、本学の前身の師範学校の卒業生でもあることから、企画展を催すことにしました。また、今年は平塚らいてうの有名な言葉「元始、女性は太陽であった」が載っている雑誌「青鞜」が1911年9月に発行されてから100年の記念の年でもあります。

 

8月の中旬の猛暑の中、その下調べも兼ねて、東京での会議の折、新宿駅から歩いて10分少し中に入った閑静な場所にある渋谷区代々木の婦選会館の中の、市川房枝記念会を訪ねることができました。

東京・渋谷区代々木の婦選会館前の案内

久保事務局長の案内で、展示室での市川さんの遺品の数々やその折々のパネル、歩まれた歴史を辿りました。また、氏の遺された膨大な資料を整理されている資料室の方々や養女のミサオさんにもお会いしました。皆さん、大変親切に説明いただき資料室も見せていただいたりで、時間を忘れるくらい和やかなひと時を過ごすことができました。

市川さんと平塚らいてうの言葉が並んでいる(婦選会館で)

 

市川さん直筆のはがきなどを見入る筆者(尾西歴史民俗資料館で)

また、9月2日、台風12号の雨の中、本学の中原法人運営部長、三宅教育研究支援部長と3人で一宮市にある歴史民俗資料館を訪ね、神田学芸員から、市川さん関連の保存資料について、説明を受け、拝見してきました。お姉さんの遺産でつくられた児童図書館での「第一回子どもの本の講座」での市川さんの講義録や1996年4月6日から10月12日まで27回にわたり連載された中日新聞林寛子記者による「理想は高く」と題した連載記事、市川さんの自筆のはがきや年賀状など興味ある資料を拝見できました。

市川さんの姉の遺産でつくられた児童図書館

その後、これもお姉さんの遺産で作られたという吉藤にある公民館の中の、市川さんの自筆による兄弟姉妹の足跡を辿る資料、また児童図書館では市川房枝さんのコーナーの配架図書や各種資料を拝見させていただきました。

 

市川さんの生家跡を訪ねる

私にとって市川房枝さんは、女性の参政権を求めた婦選運動の先駆者であり、清潔選挙を旗印に参議院議員として活躍されたことなど、多くの「著名人」の一人にすぎませんでした。しかし、彼女が87歳の時に作られたビデオ「87歳の青春」や拝見した様々な資料により、人間市川房枝がいきなり、私の目の前に巨人となって現れてきました。そうした強い衝撃を受けました。彼女の人生の断片を垣間見たにすぎません、それでもそんな印象を与えてくれました。

 

家族と写真に収まる市川さん(公民館で)

愛知教育大学は、2003(平成15)年に定めた愛知教育大学憲章の「愛知教育大学の運営の在り方」の第5項で「人権の尊重」を記し、そこでは、「愛知教育大学は,全ての構成員が相互に基本的人権と両性の平等を尊重し,教育研究活動における,あらゆる差別や抑圧などの人権侵害のない大学を実現する。」と述べています。市川房枝さんが、生涯を通じて追及されてきたこと、女性に対する差別撤廃や社会進出、両性の平等など、先駆的社会運動家としての役割に思いを馳せるとき、改めて市川房枝さんの偉業を振り返り、今日の複雑な社会に生きる我々は、その思いを若い世代に引き継いでいく役割があるのではないかと強く思います。

 

児童図書館の市川さんのコーナー

没後30周年に当たり、本学図書館の「アイスペース」で、上記関係団体から資料をお借りし、また本学にあるいくつかの資料も併せて「市川房枝さん没後30周年記念企画展」を11月中旬から12月中旬まで開催する予定です。市川房枝さんは、地元や名古屋で一時期教員もされていました。そうした資料や人間市川房枝さんを紹介し、この大先輩の偉業をしのび、多くの学生諸君にその遺志を引き継いでほしいと願っています。学生諸君をはじめ、多くの方々に来館いただきたいと思います。