
2011年9月 卒業・修了式を挙行しました。
2011年9月30日(金)
この2011年度9月卒業および修了式を迎えられた学部卒業生13名、大学院修了生5名の皆さんに心からの祝福を送ります。学部卒業生の方々は、2005年度入学から2007年度入学まで、大変バラエティに富んでいます。卒業に至るまでに、経済上や勉学上大変な苦労があったのか、あるいは大学生活をエンジョイしたために延びたのか、それぞれ理由はおありだとは思いますが、この間の在学は決して無駄ではないし、この卒業式が一つの区切りになるであろうことは言うまでもありません。大学院の修了生の皆さんも2006年度入学から2009年度入学までの5人の方々です。皆さんめでたく教育学研究科を修了されました。本学の大学院は、学部における一般的並びに専門的教養の基礎の上に、広い視野に立って精深な学識を修め、専門分野並びに教育実践の場における理論と応用の研究能力を高め、もって教育研究を推進し得る能力を養うとされ、皆さんはこうした目的を達成され、めでたく修士論文審査に合格されました。おめでとうございます。
さて、こうした祝福の場でありながら、今年は、すべての皆さんが生涯記憶に留めるべき年として、東日本大震災と福島の原発事故に触れないわけにはいきません。約2万人の方がお亡くなりになったり、行方不明という、我が国の近代の歴史の中でも最大規模の大災害でした。半年以上経過した今も、津波で被災した地域は、経済も含め復興の目途は立っていませんし、報道等で見る限り復旧作業も遅々として進まずという印象を受けます。また、原発事故は未だ収束を見ていない、そうした現実に私たちは直面しています。事故を憂慮する研究者や地域住民の皆さんは、津波による電源喪失による過酷事故の可能性を、裁判所への訴えを含む様々な方法で訴えてきたにもかかわらず、国や電力会社は安全神話の下に耳を貸さず、真摯に向き合うことを避けてきました。私は、一人の物理学者として、水素爆発と炉心溶融により大気中に拡散し降下した放射能の影響を考えるとき、これから十数年後以降の放射線被ばくによる晩発障害のことを本当に恐れています。放射性物質を無害化する科学的手段を我々は持ち得ないまま、あたかも再処理や廃棄物処理という無害化のプロセスがあるかのような幻想の下に、原子力発電所を受け入れてきました。今、広島原爆の170倍にも及ぶ放射性物質が大気中に放出され、その降下物による被害のため、10万人にも及ぶ人々が避難を余儀なくされています。このおめでたい席ではありますが、ここに出席している一人一人が、この事態を直視し、我が国、否世界のエネルギー政策はどうあるべきか、もう一度考えていただきたいと思います。これからの社会を担っていく卒業生、修了生諸君には、強くそのことをお願いします。
10月号の雑誌「世界」の特集は、「覇権大国米国の凋落」というものでしたが、かつては【パックスアメリカーナ】と言われ、軍事的にも経済的にも社会的にも文化的にも全てがアメリカを無視しては語れない状況がありました。私が学生のころはそうしたアメリカを「アメリカ帝国主義」と呼んだものでした。その日本も80年代は「Japan as No.1」と世界中からその経済の発展ぶりを注視されましたが、バブルがはじけたのは、今から20年前のことです。2000年代に入り、空白の10年といわれましたが、既に空白の20年という状況になってきました。ヨーロッパもEU統合を経て、今経済危機に見舞われています。こうした変化の中で、お隣の大国中国は、政治的不安定さを内在しながらもインドとともに世界最大の消費国として、その経済が世界に与える影響は、多大なものがありますし、韓国もかつて日本が世界を引っ張った重工業や造船業、あるいは家電製品、半導体製品などで世界を席巻しています。このように10年単位で、世界の経済の中心が目まぐるしく動いていく時代に私たちは生きています。こうした変化の中で、私たちがくみ取るべき教訓はなんでしょうか。GDPなどに代表される経済的指標だけが、私たちの本当の豊かさを保障してくれるものではないこと、原発事故に見られるように、一見安全とみられる中に大きな危険を抱えながら生活していること、そして今、本当の豊かさとは何か、自然と共生できる新しい価値の創造が求められていること、その価値を提起し社会の進むべき羅針盤を大学の知が果たしていかねばならないこと、そういうことを思っています。
最後に少し、国の高等教育政策と国立大学の役割についてお話ししたいと思います。日本国憲法の26条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とされており、この条文を「教育の機会均等保障」と呼んでいます。国立大学は、地域に偏ることなく「教育の機会均等」を保障することにその存在意義があり、国立大学で学んだ方々は、個人的受益者ではなく、社会共有の財産として、その教育の成果を社会に還元しなければならないと思うのです。しかし、この間国立大学の授業料は私立大学のそれに迫り、既に入学料は私立大学を超えるまでに高騰してきました。そして、国からの補助金である運営費交付金は年々削減され、昨年のこの場で、私はパブリックコメントへの参加を呼び掛けたことを記憶しています。皆さんは本学の卒業生修了生として、こうした国立大学の窮状に思いを馳せ、これから国立大学で学ぶであろう方々が、まさに能力に応じて教育が受けられるよう、経済的事情で進学を断念することが無いよう、できる範囲でご協力いただくように強くお願いしておきたいと思います。
教員を目指される方は、地に足を下ろし、子どもたちと真摯に向き合い、常に外の世界に目を向けて、「なぜ?と問う気持ち」を大切に、一生を学びの中にある教師としての道を歩み、その足跡を刻まれることを期待します。
また、一般社会人として歩まれる方々も、本学で培われた学びを土台に、広い視点から物事を見、自らの意思で判断し、それぞれの分野で、自らを鍛え、その道のエキスパートを目指して、歩まれることを期待します。大学院で学ばれた修了生の皆さんは、更に深められた専門性に立脚して、社会の役に立っていただきたいと願っています。卒業・修了生諸君の今後の大いなる活躍が、本学の、そして日本や世界の今後を支え、変革する大きな力になるものと確信しております。皆さんの今後のご活躍を祈念いたしまして、卒業・修了式にあたっての告辞といたします。
2011年9月30日
国立大学法人愛知教育大学長
松田 正久

